母子手帳、父子手帳
“おめでとうございます。ご妊娠です。それでは保健所にいって母子手帳をもらってきてください。”
妊娠がわかって母子手帳をもらってくる。妊婦さんにとっても、わたしたち産科の医者にとってもうれしい瞬間です。
最近の母子手帳はディズニーやミッフィーのかわいいものが多いのですが「父子手帳」を交付する自治体も多くなってきました。名称は「父子手帳」、「父子健康手帳」「パパ手帳」などさまざまですが、ミルクの作り方、スキンシップの方法などの乳幼児への接し方などをわかりやすく解説し、母親まかせではなく父親として、積極的に育児に参加するという意識をうながしています。
母子手帳、正式名称「母子健康手帳」は日本の乳児死亡率を世界一低くした理由としても評価されています。他に国レベルで母子手帳を使っている国はオランダ、タイ、韓国だけです。
さて母子手帳の歴史をご存知ですか?母子手帳の歴史は昭和17年に発行された「妊産婦手帳」にはじまります。
妊産婦手帳規定が交付され、世界ではじめての妊産婦登録制度が発足しました。これは当時、ほとんどが自宅分娩で、妊産婦死亡率も出生10万対239.6(平成13年:6.5)であり年間の死亡数は50,70人(昭和15年)に達し、妊娠中の管理の重要性と、施設分娩の徹底が必要でした。手帳制度は妊娠したら市町村に届け、手帳を受取り、出産まで3回は医師、助産師の診察を受け妊婦の状態、出産の状況などを記載する。
というもので、これにより妊婦さんが妊娠中に医師、助産師らによる健診を受ける習慣が定着しました。当時は戦時中でさまざまなものが配給制の中、手帳を持参するとお米、脱脂綿、さらし、ミルクなどが手に入ったため爆発的に普及して行きました。
また手帳制度発足の目的に、戦時下じょうぶな赤ちゃんを生めよ増やせよという、政府の狙いもありました。戦後、昭和22年、児童福祉法が成立。
従来の妊産婦手帳が出産までの記録であったのを小児まで拡大し「母子手帳」として昭和23年、様式が定められました。さらに昭和40年に母子保健法が成立。それに伴い「母子健康手帳」と改名され現在に至っています。
現行の母子手帳は以来何回もの改訂を繰り返し、コンパクトな手帳に大変有用な情報が盛りだくさんです。
もう一度あらためて目を通し、記入していない項目をチェックしてみてください。